第2遊具の認識形式
Erkentnisformen über 2 Spielgabe


第2遊具では、「円柱体」の提示によって、どのように多様な「形態」の中にも、「球体」の 要素があることを示し、万物は球状の物体が「象徴」する「統一性」を求めて努力していること、 「球体」に至る過程を示すことを目的としている。しかし、『第2遊具の手引書』が出版された 時点では「円柱体」の導入は具体化しておらず、「立方体」から「球体」に至る具体的な変化を 提示するための拡張第2遊具、「14の立体」も完成していなかったと考えられる。『第2遊具の 手引書』の中で、『球体が連続運動しながら自分の外にある1点の周りを廻る運動は、同時に起 こる運動によって球体自体の中心を表現するが、図2は球体の連続した反復運動が球体自体の中心 線とか中心軸を表現している。二重にした紐に引っかけた球体を、右手の指で、球体自体の軸で 急速回転する場合、二重の紐は緊密にねじり合い、それから、両方の紐がゆっくりと分かれたり、 再び合流したりすることによって、ある時は右に、ある時は左にと、球体は交互の運動を連続し て維持します。(図2参照)愛するお母さん球体は今あなたの口を借りて子どもに語りかけます。 「どんなに回っても、どんなに回転しても、私は球体なのですし、あなたに距離だけ見せましょ う」』という例をフレーベルはあげているが、1838年の『第2遊具の手引書』においては、どん なに回転しても変化しない状態を提示することが、「球体」の「統一性」を「直観」する方法で あったわけである。すなわち、この時点では「円柱体」は第2遊具の中に入っていなかったこと を裏付けるものであろう。
本来、「円柱体」が導入されていれば、簡単に示すことができた静動性も、「立方体」の稜で バランスを取ることによって示されることになる。『試みに観察の際に歌うような言葉を付随す るならば、言葉や調子は子どもに印象を強め、強固にします。「立方体はコッチによろめいたり、 アッチによろめいたり、立っているのは難しい」
立方体にとって、測線で立つのは難しいのだが、何かの足がかりや、外から何か支えるならば、 不可能ではない。図5のように、立方体の1つの面を何か他の面に静止して摩擦によってしっかり と支えるのです。(中略)「立方体は1本の脚で立っています。なぜ、立方体は支えられなけれ ばならないの?」あるいは、立方体を稜で立たせ、立方体の水平の稜を立方体の箱の1面に、あ るいは、何か他のものに保たせる。すると、立方体は完全にじっと立っている。
「立方体を壁にもたせば、しっかりと立っています」と歌いかける』という提示は、どのように したら立つのか(How to)という方法を考えるのではなく、なぜ支えられなければならないのか、 という(Why)が大切にされている。
 『立方体を手の中に握り、1つの面だけ見えるようにして、再び子どもに歌いながら、「あな たにはたった1つだけ見えてます。他はどこにあるのでしょう?」と話しかける(図7)(中略) 子どもがまなざしや試みで母の手を開こうとした時に、「あなたには1つだけしか見えないけれ ど、周りの手は5つ包んでます」と歌う。(中略)母は立方体を手の中に再び包んで2つの面を 見せて、「今度は2つだけ見えます。他はどのようになってるのでしょう?」と歌う。(中略) にした部分には、『立方体は1つの目で見て「こんにちは」とあなたに親しく挨拶をしています』 と、手を開いて、他の5つの面を見せる提示の際に、「立方体はあなたの頼みで全部出てきまし た」と、「立方体は子どものところへ来たいのです。だから手かせを除けましょう」と、子ども の「心情」に共感を求める方法、フレーベルの言う第2の観察の部分(美の形式)が入っていた 場所である。すなわち、フレーベルは同じ提示でも、共感で「心情」に働きかけるか、思考で 「頭」に働きかけるかの違いを意識していたとも考えられる。この時期には第3遊具に見られる ほど厳密に形式を区分していないことを裏付けるものであろう。
第1遊具と第2遊具の時期の子どもの状態を考えると、大人にとっては違う内容の提示であって も、子どもにとっては同じ「遊び」であることの方が大切にされていると考えられる。



再び手を閉じ、できるだけたくさんの面を、と言っても単に3つの面であるが、1度に示すよ うに立方体を手に包む。母は立方体を回しながら、いわば、立方体が子どもに話しかけるかのよ うにして、「どんなに向きを変えても、上がっても、下がっても、私はいつも3つだけしか見せ られません」と言う』と記述された「認識の形式」の活動が掲載されている。
原図は見つけられなかったのだが、『添え付けの2本の太い棒を第2遊具の箱に刺し、上端を 四角い棒で固定した後、立方体の面に紐をつけ、子どもにひもを持たせ、大人の手で介助して梁 を越えて紐を引く、「あなたが下げると、私は上がる、あなたが上げると、私は下がる」と歌い かける(図29)』という提示の例をフレーベルはあげている。フレーベルの「認識の形式」は、 「なぜ?」をさりげなく問いかける形式が多い。もちろん、答えは求めないし、ペスタロッチー 式の問答法もありえない。考えるのは子どもであり、試行錯誤しながら子どもなりの追求の試み が続くわけである。答えが解って終わり、というような刹那的な内容ではなく、一人ひとりの理 解の違いが大切にされる。だから、子どもは継続して遊ぶし、以前に使った「遊具」と併用して 遊ぶことが可能になるわけである。「認識の形式」において、(How to)ではなく、(Why)が大 切にされる理由は、多様な理解にこそ意義があるからだと見なされうる。




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