第3遊具の生活形式
Lebensformen über 3 Spielgabe




 生活をめぐる事物で関連づけられており、「遊具」の連続した組み立てによってできた「形 態」に名称をつける「遊び」の領域と言えよう。いろいろな事物に見立て、名称をつけること により、作業衝動に養育的傾向(模倣による事物理解)を与えるための手段になる。幼年期に は第1形式であるが、少年期には第3形式へと移行する、外面的な現象の部門である。「生活の 形式」は事物の「形態」を提示するだけでなく、現存、消失、再来という時間の変化を体験で きる「動きの真似」の部門と考えられるであろう。第1遊具と第2遊具では「模倣遊び」、第 3遊具から第6遊具では「建築遊び」、他の「遊具」や「作業具」では「造形遊び」を意味し ているとも考えられる。生活環境に存在する事物を「模倣」することを条件とし、子どもの 「自己活動」のために「名称」をつけるわけである。既出の「形態」を壊すことなく、少しず つ更新していき、「詩」、「歌」、「話」によって、感覚による具体的思考を援助し、子ども の想像力を強めることが特徴的である。     
 「模倣」の活動の「多様性」の中に同一の主題が保持されているので、子どもは創造活動の 内に「統一性」を発見して、「生命合一」の法則を「直観」できる点が重要である。自発性の ない「模倣」行為は無能力を誘発するとして、最初は子どもが独力で「想像」することをフレ ーベルは勧めている。            
 第3遊具の「生活の形式」を例に挙げて理解してみることにする。『覚え書きを見て下さい。 若干の簡単な変更によって、他の描写に移行する描写形態や、ある形態が容易に別のものから 簡単に作られるものや、他の変形をしたもので、入用なものなしに、初めの先行する形態を全 て破壊することなしに形成できるもののような、たとえば、簡単な「壁」(4)から「校舎」(8) が、校舎から「教会」(9)が、教会から「市役所」(10)が、市役所から再び「別荘」(11)が、 (8番から11番までの描写を比較せよ)等々のものに関して、私達の心に浮かんでくることを見 てください』とフレーベルが記述しているように、絶えずテーマの、同じ「形態」が現れる造 形の「小さな輪」の集合で構成されている。わずかな変更によって移行「形態」ができ、先行 する「形態」を壊すことなく作れるように配慮されているわけである。
「生活の形式」において、フレーベルは名称をつけたり、特性を説明する宗教哲学的な「言葉」 「歌」、「詩」と結びつけることが重要である。「子ども達に自らが創造したものに関しての 落ちついた表現や、名称や特性や、関係というような普通の理解が、即座の理解が十分な理解 が、象徴的な理解が湧いたということは、例え、簡単な用語にすぎなくても、容易に記憶の中 に呼び戻すためのものであり、結び付いた言葉や詩句の中で、また、詩歌によっても、子ども の喜ぶようなもの、いわば、子どもの幸福のためのものがしっかりと保持されます」と、フレ ーベルが記述しているように、名称、特性、関連、描写は、再び、「形態」を作る時のための ものであり、記憶の中に「形態」を呼び戻すための方法と考えていることが特徴的である。                       

(4) 壁

(8) 校舎

(9) 教会

(10) 市役所

(11) 別荘
1844年に印刷された「遺稿」、『100の生活の形式』には、「組み立てを簡単にするための連 続した系列において様々な幼稚園の子ども達が見つけだし、表現した第3遊具の遊びと作業の 箱の100の生活の形式」(Ein Hundert Lebensformen aus der 3. Gabe der Spiel- und Beschäftigungskasten , erfünden und dargestellt von Kindern verschiedener Kindergarten, in stetiger Folge vom Einfachen zum Zusammengesetzteren)とタイトルが 印刷されている。数十種類の造形表現に関する「小さな輪」から構成されていることが特徴的 である。応用するための基礎提示にすぎないことが強調されており、手本として「模倣」する ことをフレーベル自身が厳しく禁じている。また、フレーベルは「今、とても容易に教育的価 値が手に入ったとしても、「生活の形式」にたとえれば、名称やテーマに関してのみならず、 適切な言葉や表現によって自給し、(当地の幼稚園や、拡張分岐するための様々な局面でのほ とんど全てを自給し、言葉を自覚したので、事物に自己を発見したような子ども達を自給する) 増加させるように命じてください。献身的なお母さん、もし、私達があなたの子どもの素晴ら しい可能性や、自己発見と新発見の労をねぎらう心情を粉砕してしまいたくないのならば‥‥ お母さん、あなたの子どもの可能性や心情をそのように、たくさん、もっともっと強く、さら に新鮮に世話してください。模倣はとても簡単に無能力状態を引き起こします。それゆえに、 最初の表現を試験的にする時には、私達は常にまず最初に独力での創造を要求することもよく 考えておいてください」と記している。「模倣」は無能力を引き起こすので、各々の状況で自 己発見と新発見をして、応用すること、まず第一に独力で創造してみることをフレーベルが要 求していたことを指摘しておくことにする。        
フレーベルが『同志と同一の協力のもとに活動している者のための日曜紙』に、掲載した「生 活の形式」を押さえておくことにする。『「おばあさんと子どもが腰掛け、子どもがおとなしい 時には、膝に抱き、何かの話をしてくださるおばあさんのイスです。(図18)来て、おばあちゃ ん、来て、ほら、おばあちゃんが腰掛けられるイスだょ。来て、子どもに何かお話ししてよ」と 子どもの口から出たように母が話し、続けて「おばあちゃんはいらっしゃいませんょ。おばあち ゃんは台所でお父さんにスープをこしらえてます。それとも、おばあちゃんは庭に花を植えてい らっしゃるのかしら、お姉ちゃんや妹達のためにかわいいお花を」、「来て、おばあちゃん、ス ープを持って、テーブルの用意ができてますょ、腰掛けもそばにありますよ」(図17)と、母は 子どもの口調で話をし、子どもと一緒に対話をし、話を作るのです。ある時には、子ども自身が 全部並べて井戸にした時、「ここに湧いてる澄んだ泉から、喉が渇いた時におじいさんは水を汲 みます。お母さんが花に水をやったり、愛する子どもを洗う時も、井戸から水を汲むのです」 (図24)と話す。
少し変形すれば、今度は家畜の水槽に見えてくる。「ウシと子ウシ達、ウマと子ウマ達が同時に 喉の渇きをいやすために、水槽はこんなに長いのです」(図25)(中略)「お父さんは、隣のフ リードリッヒさんに、庭の樹のサクランボを摘んでいいよと言いました。フリードリッヒさんは 向こうへ行って、大きな屋根ハシゴを取って来ました。(図22)フリードリッヒさんがハシゴを 樹に立て掛けようとした時、ハシゴは倒れて壊れました。「ごらん、ほら、ハシゴが落ちてま す」それを見ていた庭師のフランツさんが、「重い屋根用のハシゴは樹木や庭に使うものではあ りません。樹木や庭には軽い二重の庭ハシゴがいいのです」と言いました。フリードリッヒさん はフランツさんの言うことが正しいとわかりましたので、庭ハシゴを取りに行きました。「ごら ん、ほら、庭ハシゴ」(図23)今度はフリードリッヒさんは高く登り、すばらしいサクランボを 摘みました。後で、サクランボをフランツさんにも、お母さんやお父さんにもあげました』とい う例の「生活の形式」をフレーベルはあげている。                             

(18) イス

(17) 腰掛け

(24) 井戸

(25) 家畜の水槽

(22) 屋根ハシゴ
(23) 庭ハシゴ
フレーベルが考えた100の生活の形式は、『組み立てを簡単にするための連続した系列におい て、様々な幼稚園の子どもが見つけだし、表現した第3遊具の遊びと作業の箱の100 の生活の 形式』というタイトルにみられるように、数個ずつ動かして変形していく100種類の立体造形で、 「キンダーガルテン」の子ども達が見立てた名称がついている。1844年の『第3遊具の手引書』 には、「この副様式の描写それぞれが、繰り返して新しい部分を現します。例えば、No.1から No.50までは真っ直ぐに置いた立方体での描写、No.51からNo.71までは斜めにした立方体との描 写で、特に、No.51からNo.59までは斜めに置いた立方体との見立て、No.60からNo.68までは斜 めに立てた立方体との描写、No.1からNo.11までは量の描写、No.27からNo.29までやNo.69から No.71までのように少量から多数のものに至る、増加を繰り返す種々の個別的な分割よりなる描 写を現しています」という内容が記述されているが、図が添付されておらず、1851年の『第3 遊具の手引書』と一緒に正確な名称だけが見つかっている。また、No.17の「大型安楽イス」が 「庭のベンチ」、No.79の「ヒツジ小屋」が「番兵小屋」や「あずまや」というように、フレー ベル自身が「遺稿」の中でも名称を変えていることが特徴的である。子ども達自身が見立てて 名称を付けたわけだから、時代にあった見立て活動をしたと考えられ、日本という時代と風土 の異なる環境からは想像もつかない「形態」と名称も見られた。さらに、No.89の「コウノトリ とカエル」に配置した「形態」は「遺稿」では、No.56の「凱旋門」となっており、No.43に配 置した「二重の玄関口」は、No.66の「市の城門」という名称で「遺稿」に残っている。だが、 No.56とNo.43は、「斜めに置いたり立てたりした」形態という条件がついているため、別の場 所に配置することになった。正確を期すように心がけたて、フレーベルが残した下図から、上 記の条件と名称に合致する「形態」を取り出すことを試みるものである。          

No.1 立方体

No.2 柱

No.3 長い石壁

No.4 高くて長い石壁

No.5 木の壁

No.6 開いた傘

No.7 階段

No.8 校舎

No.9 教会  

No.10 市役所

No.11 別荘

No.12 長イス

No.13 城

No.14 居城

No.15 汽車

No.16 蒸気船

No.17 大型安楽イス

No.18 記念碑

No.19 二人用ベンチ

No.20 3座席のベンチ

No.21 4座席のベンチ

No.22 玉座

No.23 水車溝辺の木壁

No.24 2脚のイス

No.25 水門

No.26 2台のベンチ

No.27 テーブルとベンチ

No.28 羊飼いとカマド

No.29 並木

No.30 ジグザグ   

No.31 十字架

No.32 道しるべ

No.33 燈台

No.34 式台

No.35 芸術的な塔

No.36 井戸

No.37a フライパン
   

No.37b 家畜用水槽

No.38 堤防   

No.39 つるべ井戸

No.40 縦穴

No.41 ドアつきの庭の石塀

No.42 門

No.43 二重の玄関口

No.44 橋

No.45 台付き踏み台

No.46 家畜小屋  

No.47 城塞

No.48 空き家

No.49 暖炉

No.50 籠つきのハシゴ

No.51 教会の窓

No.52 ストーブ  

No.53 修道院の潜り戸

No.54 標的

No.55 教会の門 

No.56 凱旋門

No.57 射手と標的     

No.58 迫台つき木挽き台

No.59 迫台がない木挽き台  

No.60 垣根

No.61 船     

No.62 置き時計

No.63 土台のある塔  

No.64 芸術的な塔

No.65 踏み台

No.66 市の城門 

No.67 2つの扉の城門

No.68 回転柱

No.69 3つ足ひき臼

No.70 細長い木

No.71 果樹

No.72 市の城門  

No.73 洞穴

No.74 炊事のカマド

No.75 クッション安楽椅子

No.76 小さい家

No.77 屋根つき地下室

No.78 2つの小さい小屋

No.79 羊小屋

No.80 丸天井の地下室

No.81 十字架のドーム

No.82 簡単な炉

No.83 大砲

No.84 2台の臼砲  

No.85 記念碑

No.86 天文台

No.87 キツネ狩り小屋と猟師小屋

No.88 少年と2つの小塔の家

No.89 コウノトリとカエル

No.90 登山杖

No.91 鋸     

No.92 ヘビ

No.93 釘抜き

No.94 ツルベ 

No.95

No.96 葉のついた花

No.97 小庭園 

No.98 星

No.99 花壇

No.100 太陽
下記にフレーベルが下絵にインキではなく鉛筆でスケッチしていた絵を列挙する。恐らく、 上記の絵で論者が間違えた絵の正確な「形態」が入っていると考えられる。しかし、第3遊具 の「生活の形式」は自由に「造形」し、自由に見立てて遊ぶものであるから、100の認識の形 式は単なるサンプルにすぎないことを繰り返し述べておくことにする。同じ「形態」が異なる 名称で扱われていることから、様々な変更がなされたと考えられるであろう。また、フレーベ ル自身も同じ名称を繰り返し用いたり、フレーベルの教えを受けた人達の文献にも同じ「形態」 が違う名称で紹介されているという点は重要である。すなわち、フレーベルも「形態」や名称 にさほどこだわっていなかったことを裏付けるものであろう。


































生活形式にもどる

wieder zum Lebensformen zurück
遊具の3形式にもどる 

wieder zum 3 Formen zurück
フリードリッヒ・フレーベルの
メニューにもどる

wieder zum Seite über Friedrich Fröbel zurück
メニューにもどる

wieder zum Heimseite zurück